モニュメント備忘録

モニュメントを忘れないためのメモ

世田谷美術館(1986-)_20160131-0203

※○○年は制作年
 
世田谷美術館銘板」草水(くそうず)みかげ?or万成(まんなり)石?
新潟県北蒲原郡安田町で産出される花崗岩。国会議事堂の中庭の通路にも使用。安田石とも呼ばれる。
岡山県岡山市西部谷万成に限って産出される。
 
澄川喜一《そりのある形》1983年,ステンレス・石
→(すみかわ きいち 1931-)島根県古賀町生まれ。東京芸術大学美術学部彫刻科卒。新制作協会、日本芸術院会員。元東京芸術大学学長、現東京芸術大学名誉教授。
 
淀井敏夫《海の鳥と少年》1981年
→(よどいとしお 1911-2005)兵庫県朝来市生まれ。大阪市立工芸学校を経て東京美術学校彫刻科卒。二科会理事長。東京芸術大学教授。
 
向井良吉《吾、大地》1987年,白銅・真鍮
→(むかい りょうきち 1918-2010)京都府京都市下京区生まれ。京都市立美術工芸学校彫刻科卒、東京美術学校彫刻科塑像部在学中に新制作協会展出品。1937年島津マネキンで荻島安二にマネキン制作の指導を受ける。1946年七彩工芸を創業。1951年行動美術協会彫刻部の創設に参加。武蔵野美術大学造形学部芸能デザイン学科(現・空間演出デザイン学科)教授。
 
本郷新《わだつみのこえ》1950年,ブロンズ
→(ほんごう しん 1905-1980)北海道札幌市生まれ。東京高等工芸学校彫刻部(現千葉大工学部)卒。高村光太郎に師事。国画会会員、1939年新制作協会彫刻部、1945年日本美術会の創設に参加。1948年日本共産党に入党。
※1949年全国の戦没学生が遺した手記を集めて編集した『きけ わだつみのこえ』が刊行された。「わだつみ」は「わた(海)のかみ」と同義で「海をつかさどる神」を意味する。
 
佐藤助雄《桃源》1983年,ブロンズ
→(さとう すけお 1919-1987)山形県山形市の仏師の家に生まれる。後藤良(なおし)に師事。日本美術協会銅賞、新文展特選。北村西望・富永直樹に師事。日本彫刻会・日展理事。
 
柳原義達《しゃがむ女》1958年,ブロンズ 
→(やなぎはら よしたつ 1910-2004)兵庫県神戸市生まれ。東京美術学校彫刻科卒。朝倉文夫に師事、文展入選、国画会会員、1839年新制作派協会彫刻部の創設に参加。1970年日本大学芸術学部主任教授。
→本作は平塚市美術館の《座る女》と同年制作
 
バリー・フラナガン《馬とクーガ》1984年,ブロンズ 
→(Barry Flanagan 1941-2009)イギリス、ウェールズのプレスタティン生まれ。バーミンガム美術工芸学校でフィリップ・キング、セント・マーチン美術学校でアンソニー・カロに師事。ヘンリー・ムーアの助手を務める。「野兎」シリーズは1980年頃から始まる。1970年「人間と物質」展のために初来日したらしいが出品はしていない?
→クーガ(cougar)はピューマ
 
トニー・クラッグ《三葉虫》1989-1990
→(Tony Cragg 1949-)イギリスリヴァプール生まれ。ウィンブルドン美術学校、ロンドン王立美術学校卒。1988年ターナー賞。デュッセルドルフ芸術アカデミー校長。
 
アンソニー・カロ《垣間見るアルカディア》1987年,鉄・ワニス 
→(Anthony Caro 1924-2013)イギリス、サリー州ニューモールデン生まれ。ケンブリッジ大学工学部卒、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ卒。1951-53年ヘンリー・ムーアの助手を務める。1959年から抽象彫刻をつくり始める。
 
菊池一雄《ながれA》1978年,ブロンズ,新制作展出品作
→(きくち かずお 1908-1985)京都市上京区日本画家・菊池契月の長男として生まれた。藤川勇造、小林万吾に師事。東京帝国大学文学部美学美術史科卒。1934年二科展特待受賞。新彫塑協会に参加。1936年渡欧しシャルル・デスピオ、ロベール・ブレリックに師事、翌年サロン・ドートンヌ展入選。新制作派協会会員。京都市立美術専門学校彫刻科教授。1949年『ロダン』を刊行、毎日出版文化賞受賞。東京芸術大学教授。
 
保田春彦《赤錆の壁がある砦》1986年,コールテン鋼
→(やすだ はるひこ 1930-)和歌山県に保田龍門の元に生まれた。東京美術学校彫刻科石井鶴蔵教室卒、1958年渡欧しアカデミー・グランド・ショーミエールでオシップ・ザッキンに師事。1975-1999年武蔵野美術大学教授。
 
舟越保武《杏》1984年,1984年新制作展出品作
→(ふなこし やすたけ 1912-2002)岩手県二戸郡生まれ。県立盛岡中学校(現・県立盛岡第一高等学校)では、のちの洋画家松本竣介と同期であった。東京美術学校彫刻科塑造部卒。新制作派協会会員、多摩美術大学教授、東京美術学校教授。
 
土谷武《遠くがみえる》1986年,コールテン鋼・石
→(つちたに たけし 1926-2004)京都市東山区生まれ。京都市立美術工芸学校(現・京都市立芸術大学)彫刻科卒、東京美術学校卒。新制作派協会会員。1961-63年渡仏しエコール・デ・ボザールで学ぶ。68-73年多摩美術大学彫刻学科教授。75-96年日本大学芸術学部教授。
 
下田治《開きかけのイメージ》1986年,鉄
→(しもだ おさむ 1924-2000)中国(旧満洲)生まれ。1947年立教大学卒、1950-51年パリのグラン・ショーミエールで学ぶ。島根県奥出雲町に下田の個人美術館「鉄の彫刻美術館」がある。
 


用賀プロムナード(1986-)
→設計者:象設計集団
→淡路瓦が各所に用いられている。
 
佛子康夫《》○○年
→(ぶっし やすお 1916-1992)東京都港区生まれ。東京美術学校彫刻科卒。虎の門の俊朝寺住職を継ぐ。1951年第7回日展特選・朝倉賞。
 
 
【参考】
徳島県立近代美術館 作家・作品検索」http://www.art.tokushima-ec.ed.jp/category/0007207.html
 

澄川喜一
「澄川喜一HP」http://www.sumikawa-art.com/
 
向井良吉
「JAMDA(日本マネキンディスプレイ商工組合)HP」 http://www.jamda.gr.jp/museum/03/08.htm
 
トニー・クラッグ
 
保田春彦