モニュメント備忘録

モニュメントを忘れないためのメモ

バリー・フラナガン《馬とクーガ》1984年,ブロンズ

→(Barry Flanagan 1941-2009)イギリス、ウェールズのプレスタティン生まれ。バーミンガム美術工芸学校でフィリップ・キング、セント・マーチン美術学校でアンソニー・カロに師事。ヘンリー・ムーアの助手を務める。「野兎」シリーズは1980年頃から始まる。1970年「人間と物質」展のために初来日した。
→クーガ(cougar)はピューマのこと

 

柳原義達《しゃがむ女》1958年,ブロンズ

→(やなぎはら よしたつ 1910-2004)兵庫県神戸市生まれ。東京美術学校彫刻科卒。朝倉文夫に師事、文展入選、国画会会員、1839年新制作派協会彫刻部の創設に参加。1970年日本大学芸術学部主任教授。
→本作は平塚市美術館の《座る女》と同年制作

本郷新《わだつみのこえ》1950年,ブロンズ

→(ほんごう しん 1905-1980)北海道札幌市生まれ。東京高等工芸学校彫刻部(現千葉大工学部)卒。高村光太郎に師事。国画会会員、1939年新制作協会彫刻部、1945年日本美術会の創設に参加。1948年日本共産党に入党。
※1949年全国の戦没学生が遺した手記を集めて編集した『きけ わだつみのこえ』が刊行された。「わだつみ」は「わた(海)のかみ」と同義で「海をつかさどる神」を意味する。

向井良吉《吾、大地》1987年,白銅・真鍮

→(むかい りょうきち 1918-2010)京都府京都市下京区生まれ。京都市立美術工芸学校彫刻科卒、東京美術学校彫刻科塑像部在学中に新制作協会展出品。1937年島津マネキンで荻島安二にマネキン制作の指導を受ける。1946年七彩工芸を創業。1951年行動美術協会彫刻部の創設に参加。武蔵野美術大学造形学部芸能デザイン学科(現・空間演出デザイン学科)教授。

澄川喜一《そりのある形》1983年,ステンレス・石

→(すみかわ きいち 1931-)島根県古賀町生まれ。東京芸術大学美術学部彫刻科卒。新制作協会、日本芸術院会員。元東京芸術大学学長、現東京芸術大学名誉教授